生き生きした生活を求めて


               保護者  東京在住     

 

 わが家のふたり目の子供は、待望の男の子でした。
 でも、生まれてすぐにダウン症であることがわかりました。
 それ以来、子供と一緒に「障害」と向き合う生活が始まりました。
 
 生まれつき、心臓の壁に穴があいていたので手術をしたり、歩くのも遅かったり、ことばが出なかったり、「ふつう」の発達から遙かにそれた成長でした。

 少しでも「ふつう」に近づこうと頑張りましたが、遅れは縮まるどころか更にひろがっていきました。
 
 体も弱いし、障害があるのだからできなくても仕方がないという思いもありましたが、小学校入学時の担任の先生から、「将来子供が大きくなったとき親が楽のできる大人に育てなさい。」と言われたのが、私と子供の転機となりました。

 それまでは目の前のことに振り回され、将来のことを考えたら不安でいっぱいになってしまいましたから、この子が大人になるなど考えたくありませんでしたが、大人になってひとりで何でもできて、楽しく生き生きと暮らせるようになっているかどうかは、これからのお母さんと子供のがんばりにかかっているという意味と理解して、それからは、今この子の持っている能力でどんなことが出きるだろうか、まず何からやっていこうかと前向きに生活を考えるようになりました。

 身辺自立はもちろん、自分の名前は読んだり、書いたりできるようにしたい。ひとりで学校に行けるようにしたい。スキーもできるようにしたい等々と次々挑戦することが出てきました。
 
 先生方にアドバイスをいただき、いろいろ工夫しながら、ただひたすら二人で頑張るのは苦しくもありましたが、達成感もあり充実した日々でした。
 すぐにできるようになることもありますが、長い年月かかってやっとできることもありました。

 どうしてもものにならないこともありました。そんなときは、あきらめるのではなく、今は「その時」ではないと思い、「その時」が来るまで先に延ばすようにしました。

 ただ、若かったから頑張れたのかもしれません。子供が中学三年になった今、先の先生のことばが実感できるような気がします。 また、そのことばには、親なき後もひとりでしっかり生活できるようにしておくように、という意味もあったのでしょう。

 私はいつもこのことばを繰り返し思い出して育てています。
 今では、限られた能力のわりに毎日の日課になっていることは親の手を煩わすことなく自分で出きるようになり、おまけにお手伝いまで喜んでやってくれるようになりました。

  しかし、最大の難関は、「ことば」でした。
  小学校入学前は、いつかことばが出るのではないかと期待していたのですが、そうは言っていられなくなってきました。

  ことばで意志を伝えることができないので、何か嫌なことがあったりするとそこから心を逃避させるようになってしまいました。 我慢したり、あきらめたりすることが多かったのでしょう。
 外界との接触を拒むように、まるで自分の殻に閉じこもるようなことがしばしば見られるようになってしまいました。
 指示待ちの消極的な姿勢も意志の疎通がうまくいかなかった経験の積み重ねによるものが大きかったと思います。

 そこで、子供が4歳の時、マカトン法のワークショップを受講していたので、 東京に引っ越してきたのを機に、小学校4年の秋から松田先生にマカトン法のサインを習いはじめました。

 学校の先生も協力してくださり、みんなでマカトンのサインを使ってくれました。
 はじめて自分の言いたいことを理解してくれる学校という集団の中で、時々小さないたずらをしたり、ふざけたりして、積極的に自分から皆と関わろうとして、友達や先生との間にあたたかい交流が生まれるようになりました。

 みんなが、自分の思いを受け止めてくれるということで、自分の存在を社会の中で、位置づけることができるようになったのかもしれません。
 こんなに「ことば」が通じるということがこの子にとって重要なことだったとは・・・そして、この子がこんなにひょうきんだったとは・・・他人との関わりが豊かになることによって、生活全般にわたって活気が出てきて意欲的に生活できるようになってきました。

 しかし、小学校高学年になって、大学生の方達が障害児と遊んでくれるサークル活動に参加するようになると、またいろいろな問題が出てきました。
 大学生のお兄さん、お姉さんはたくさんいて、担当についてくれる方には サインを使ってくれるようにお願いするのですが、それ以外の方にまで、サインが浸透していくのはなかなか難しいようでした。
 相手がサインを使ってくれないと自分からは使わないので、子供の世界が外に広がるにつれてサインだけではうまく対応できない場面も出てきてしまったのです。

 そのころ、コミュニケーションボードというものがあると知り、「これだ」と思いました。
 それから、絵カードや写真などで試みたのですが、絵カードは一枚が大きすぎて多くのことばを載せると何ページにもなってしまい、また、写真は特定の物しか表せないし、様子や気持ちは表せないので、使えないことがわかりました。
 
 試行錯誤の末、マカトン法のシンボルを思い出し、使ってみることにしました。 目的は、「外出の時に持ち運びしやすいもの」ということで、ウエストポーチに入る写真入れを使うことにしました。
  シンボルはできるだけ場面ごとにまとめたつもりでしたが、これはいざ使ってみるとうまい配列でないことがわかりましたが、もう使いはじめたら子供も覚えてしまうので、直せなくなってしまいました。
  こちらからは、シンボルに添えられている日本語を見ながら話しかけてやります。大学生の方にもあらゆる場面で使って話しかけてくれるようお願いしました。

 家ではシンボルを指しながら、サインをしています。そのうちシンボルが含む意味も言葉も状況も把握してきて、シンボル帳を使ってくれる人には自分から あちこちのページを開けながら、いくつかのシンボルを指さし意志を伝えようとするようになりました。
 悲しくもないのに「悲しい」のシンボルをさしてお兄さんやお姉さんがあわてるのを見て楽しんだりしているので困りつつも、ほほえましく見ています。 外出の時は必ず自分でウエストポーチやリュックに入れています。

 シンボル帳は、この子にとって外の社会で積極的に、楽しく生きるためのなくてはならないものになっているのでしょう。 私はこれからシンボル帳の内容の充実のために、また多くの人に使ってもらえるよう頑張ろうと思っています。

 この子が生まれてからずっと考えていたことがあります。 「障害とは何だろう・・・」。持っている能力が低いことで、普通にできないことがたくさんあるのは事実です。でも、みんなと同じ方法ではできなくても、違う方法で、目的を果たせれば、それは障害ではなくなります。

 子供に関わって下さる多くの方達のご協力に感謝しつつ、みんなの中で、少しでも生き生き暮らせるようになることを願っています。

 マカトン法のサインとシンボルがそれを可能にしてくれました。
                 
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