マカトンシンボルとともに

                    保護者 千葉在住

  私の息子は高校1年生です。歩くことも、立つことも、話をすることもできない身体障害者手帳1級、療育手帳Aの重複障音者です。

しかし、毎日、パソコンや、プレイステーションでゲームを楽しんだり、大好きなウルトラマンやアンパンマン、ドラえもんなどのビデオを喜んで見ています。

話しはできないけれど、物事に対する理解力はあるように思えます。

小学校3年の時、手術をする必要があり、リハビリの病院に1年半入院することになりました。大した手術ではなかったのですが、家庭以外の生活になれるという目的もあり、先生に「この入院で何かこうして欲しい、という希望はありますか?」と聞かれた時、私はすぐ、「自分の意志や、考えている事を、人に伝える事ができるようになって欲しいのですが。」とお願いしました。

そうして、週3時間の言語訓練を受けることになりました。[物には名前がある]、ということから始まったように覚えています。ビデオを楽しんで見ていた息子にとって、なんて当たり前のことを、何でいまさらと思ったに違いありません。真面目にやったり、気分が乗らなかったりと、訓練は思うように進まなかったようでした。

入院中は、病院から学校に通っていて、週末に家に帰りました。学校の様子は、先生が連絡帳に書いてくださってわかりましたが、病院での訓練の様子は、何も知らされず、そして私も訓練の内容を知ろうともしなかったのです。学校でも活かされてはいなかったのでしょう、週3時間の言語訓練の結果は、ほとんど収穫なしで退院したのです。

そうして、マカトンとの出会いは小学校6年生の時でした。

週1時間だけの訓練でしたが、前とは違って、日常の生活にも使われました。マカトンは、先生や、他のクラスや、他の学年のお友達にも理解することができ、家庭でも通じるものだったのです。

それはとても身近なサインであり、シンボルでした。そして何よりもそれは障害者にとって、ただ受け入れるだけの言葉ではなく、自分の気持ちを他の人へ伝えることのできる言葉でした。はじめてそのことを体験した時、本人にとって、どれだけ嬉しかったかことでしょう。自分の思い通りに手を動かすことができず、サインをすることはできなくても、先生がシンボルをたくさんフアイルにしてくださったおかげで、まわりの人と気持ちを通わせることができました。

シンボルを指すのも最初は、グーでしかできなかったのが、親指で指せるようになり、今では、人差し指で指すことができるようになりました。

シンボルを使って、先生をからかうお茶目な一面も見せてくれています。家でも、シンボルを使うようになって生活に広がりが出てきました.

でも、失敗もあります。私が息子に用事を頼まれた時に、待っていて欲しいことがたびたびあって、「少し待っていてね。」の軽い意味で、<我慢>というシンボルを使いすぎてしまったのです。そのうち、「うん!待ってる。]のところが、[僕は我慢しているんだぞ!」とばかりに、<我慢>というシンボルが頻繁に出てくるようになったのです。

私はとても反省し、[あとこれくらい]と、時計で示すようにしました。

また、滅多に夜中にはトイレに行かない子ですが、その時はとても行きたかったのでしょう。胸をたたいてトイレのサインらしきものをするのです。「トイレへ行きたいの?」と聞き返すと、嬉しそうに手を上げました。親にとって、はじめてサインで教えてくれたことは、とてもとても嬉しいことでした。

しかし、サインで教えてくれたのはあとにも先にもそれきりでしたが、周りでサインとシンボルを根気よく使い続けていれば、また教えてくれるようになるという希望の芽生えた嬉しい出来事でした。

マカトンを使うようになって、息子の世界は、一周りも、ニ周りも、大きくなりました。シンボルを使うことで、自分の気持ちを理解してくれる人が大勢いる、家族が周りにいなくても自分のことを訴えていけるという自覚は、自立への大きな一歩だと思います。

物事をマカトンのシンボルで考えるようになっているのでしょうか。私達が日本語で物事を考えるように、外国の人が自分の国の言葉で考えるように、マカトンのシンボルが息子の頭の中で渦を巻いているのかな?などと考えて、思わず笑ってしまうこの頃です。できれば、もう少し語彙が増えてくれると嬉しいですが。

マカトンが世界中に広まって、どこへ行っても、マカトンで意思が通じるようになれば、どんなにいいでしょう。マカトンのお友達が増えることを心から願っています。

  
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